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  • 執筆者の写真yuri itoh

Make your Heart Brilliant DAY4

今日のヨガクラスのテーマは「Balance」でした。

今日アーサナ(ポーズ)意識していたをする時に意識してもらった事。

修習(アビヤーサ)無執着/離欲(ヴァイラーギャ)」のバランスを保つ事。

この2つの言葉の意味を簡単にいうと、

「一生懸命練習するけれど、結果にとらわれない事」


ヨガのアーサナの練習でこの2つを意識する事は

「アーサナが出来たかどうか、人からの評価、自分と他の人との違いに執着せずに、自分のため練習する」という事です。



私も昔はヨガの練習をしている時に、

先生が言ってくれた言葉通りに完璧に動いて、

その日の目標アーサナもかっこよく出来るようになりたいと思う時期がありました。

そのために無理してアーサナを行ったり、

「難しいと感じる人はこちらのポーズでも良いですよ!」と声がけをもらっても

無意識で簡単なポーズを選べない自分がいました。


今振り返ると、結果にこだわりすぎていたのだと正直に言えます(笑)

私がこの時足りなかった事、それは身体と心の声に耳を傾ける事。

チャレンジする事がいけないのではなく、

執着心からがむしゃらになるは、「修習(アビヤーサ)離欲(ヴァイラーギャ)」

のバランスが崩れた状態だったのだと思います。


私がこの事に気づいたきっかけの1つは、マタニティー期のヨガでした。

妊娠してヨガの練習をする時は、本当に「離欲(ヴァイラーギャ)」が試されました。

お腹がまだ小さい時も、妊娠中は避けるポーズがあり

毎日変わるコンディションと相談しながら、

なぜヨガの練習をするのかを考えながらヨガをする時間となりました。


ある意味、ヨガのアーサナの難易度は下がっても、心と向き合う時間が多く

常に「修習(アビヤーサ)離欲(ヴァイラーギャ)」バランスを考える良い機会だったと思います。


もう一つのきっかけは、ヨガのインストラクタートレーニングクラスで

タダアーサナ(山のポーズ)を長時間練習した時でした。

ただまっすぐ立つシンプルなアーサナですが、細かな意識を繊細に駆け巡らせながら、

動きのバランスを探す事に集中すると、とてもとても難しい。

見た目ではなく、意識でここまで感覚が変わると感じた時、

体の内側で自分自身が感じている事、そのものがヨガの修習(アビヤーサ)と気づきました。


ヨガの師アイアンガー氏の言葉に

「アーサナは機会的に行うポーズではない。

思考が関わり、最終的に動きと抵抗の間に調和が見られる」

という言葉があります。


無執着/離欲(ヴァイラーギャ)と無関心は違います。

なんとなくポーズをとっているというのはヨガのアーサナの練習ではないという事ですね。

頑張りすぎないのと同じくらい無関心でもいけないと思っています。

だからこそ、自分の身体の声を聞いて、

2つの考え方のバランスが取れるところを探しながら練習する事が大切なんだと思います。



そしてその経験を日常生活でも活かせたらより良いと思うんです。

日常生活でも、思考が先に「結果」に向かう事で執着したり、見返りを求めてしまう事ってありますよね。

手に入れたいものが手に入らないと心は感情に支配されて「ムキになる」(笑)


先日あった出来事。

欲しいスニーカーが発売3分で売り切れてしまいました。

そうなる前は、すごーく欲しかったわけではないのに、

買えないとなると、スニーカーへの執着と、欲しいという欲が高まってきて、

つい携帯で検索、検索、検索、

ここでのポイントは、始めはこのスニーカーをすごく欲しかったわけではない事。

心が囚われてしまった時間でした(汗)


とはいえ、生きていると毎日こういう事の繰り返しです。

こういう時がきたら、無意識に反応した自分の心を観察して判断する

ヨガのアーサナの練習をしている時のように。

それがより良い自分の答えを見つけるきっかけになるのかなと思います。



写真は娘なりのヨガの練習の様子^^

過程を楽しむ気持ちも大切にしないとですね!




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